436号 発進塔:秀策と囲碁の歴史

掲載日:2019年09月10日

囲碁は、四千年を遡る中国で生まれ、7世紀に日本に伝わり碁石の文化として息づいたものである。源氏物語にも登場し、かつては貴族の教養として広まった。道具は碁盤と碁石。碁盤には361の陣地があり、これを白黒の碁石で取り合う。これには目先のことだけでなく先を見据える力を必要とするため、実際の合戦や事業経営にも通じるものである。

当時の囲碁は他の伝統芸能と同様、家元に所属する必要があり、筆頭の本因坊の他、井上・林・安井の四家があった。碁聖といわれる秀策はその才能から本因坊家の養子となり活躍した。

秀策は今から200年前、広島・因島に生まれ、幼い頃から母親に囲碁を習い、凄腕の大人達から勝ちを重ね、神童と呼ばれる。丁度今春、仲邑菫(なかむらすみれ)さんが10歳でプロ棋士になったが、こちらも母親の手解きで囲碁を始めたという。

囲碁好きの城主に認められた秀策は9歳で本因坊家に弟子入りすることになるが、毎年昇段し勝ち続け18歳の時井上幻庵因硯と伝説的な対局を行う。詳細はこれまで述べたので省略するが127手目が今に伝わる「耳赤の一手」である。その後本因坊家を継承し、21歳で徳川将軍の御前で行われる「御城碁」に初出場、13年無敗の偉業を成し遂げることになる。

しかし、江戸にコレラが流行した時、本因坊家の人々が感染、倒れる人が続出する。懸命に看病する中、彼自身が罹患し、結局彼一人が34歳の若さで没してしまう。本因坊道策以来150年振りの逸材と呼ばれた秀策は今までの業績を讃えて「碁聖」と呼ばれるようになったのである。

その後、時代が変わり、飛脚問屋が集合して「日本通運」が誕生したように、囲碁の世界では家元四家が一つとなり「日本棋院」が創立された。

桂林少年宮囲碁訪問団

私が中国・桂林を訪問すると歓迎会等で子ども達が音楽や舞踊などを披露してくれる。そのお礼にと少年宮を訪問した事があった。日本と同様に共働き世帯が多い中国では、放課後にスポーツを含め約30の部門で指導が行われている。そこには囲碁もあり、対局させてもらったが子供達の強さに驚き、ぜひ熊本や天草の子供達を対局させたいと思い、数年毎に招聘している。今年も11名の子ども達が少年宮設立60周年記念の一環として来日してくれた。近年放課後クラブなど活発だが、中国では既に60年前から公的組織として取り組まれている。

三人いって虎をなす

話は変わるが、ある時龐恭(ほうきょう)が魏の王に言った。「あなたは市場の真ん中に虎がいるといったら信じますか」と。すると信じないと答えた。そこで「二人の者が言ったら信じますか」と問うた。信じないと返事があった。そこで「三人の者が言ったらどうですか」と重ねて問うた。すると「それなら信じるかもしれない」と答えたという。実のない事柄でも多くの人の噂となれば、とかく信じられ易くなるの例えである。私達は言葉を曖昧に発することが多い。また意図的にそうする事もある。最近療育園では2件の骨折事故があったが、一つに関して色んな噂や憶測が飛び交った。言葉は理路整然としていなければ誤解を招くので、注意が必要である。油断すると今の韓国世論の様にもなりかねない。

一貫グループ会長
永野 義孝

今月の紙面一覧

1.桂林市少年宮訪問団来訪 短期入所枠増床
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4.9/14天燈祭 着衣泳教室 苓北じゃっと祭で健康相談

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