434号 発進塔:人の生き方

掲載日:2019年05月10日

人の生き方

私は以前、「若者は将来について語り、お年寄りは過去の事柄を話したがる」と書いた事がある。当時、若者とは二十五歳位までを、お年寄りとは60歳以上を考えていたが、自分が年を取りすぎたせいか、最近ではそれぞれ年齢を引き上げて若者を50歳以下、老人を75歳以上とすることにした。

ところが近年はそれぞれに少し様子が変わっているようだ。若者の多くは自分の現状にあらかた満足しきっているのか、或いは何を言っても仕方ないともう諦めて了っているのか、あまり多くを語らず頭を下げては黙々とスマホを弄っているのがやたら目につく。勿論例外もあり、しゃべりすぎて困る者もいる。反面老人はというと、先々はそう長くもないのに偓促とこれから先のことに思いを巡らしたりしているようだ。私もそんな人間の一人であるのかも知れない。

私にとって先の事というのは、これまでやって来た事柄の後始末が殆どなのだから自分でも呆れる話である。その時々にもっと立ち止まって後を振り返り反省し、記録にでもしておけばよかったのにと思うのだが、今となっては総て後の祭りである。何かをして前に進もうと思う者にとっては、その効果と負の副産物が生じるであろう事を考えておかねばならなかったのに、私にはそれが不足していた。後世までその存在が評価される偉人と言われる方々はその能力に加えて発想が豊かであり、実行・失敗そして反省を繰り返し行う事が出来た人であろうと思う。そしてまたそれを実践した人物も数多い。

三 省

そんな人物の一人が曾子である。二千年以上昔の人であるが、宗教家、思想家、教育者としての彼は、毎日わが身を振り返って3つの反省をしたと言っている。

1つが「人の為に謀りて忠なるか」である。自分はよく他人のことを考えてやったり、相談にのったり、世話をしてやったりしている。しかし本当に真心を込めて行ったのか、振り返って反省したと言っているのである。誠に欠けていることは無かったのか。忠とは口と心を一本に貫いた文字でもあり、真心である。

次が「朋友と交わりて信ならざるか」であり、友人との付き合いにおいて、根本的に大切なことは信義を守るということであるが、果たして自分は友との交わりにおいて信義に背くようなことは無かったであろうか、と述べている。

3つ目が「習わざるを伝うるのか」である。人はとかく知ったかぶりをしたがるものである。未だ自分が充分に習得したり、体験すらしていないものを、さも自分は何事も詳しいような素振りをして他人に言ったり、教えたりはしていないか、という3つの反省である。曾子は孔子の一番弟子といわれた人物であるので、ここでいう「友人」とか「他人」という人々はかなり高学識の人々のことである。皆さんもたまには何かについてこういう時間を持ってみてはいかがだろうか。なお一般的に無能な者はやたらと他人を批判し、有能な人ほど他人には温和で、自身を戒めるものではある。

愈々元号は令和になった。公式文書は平成を令和に訂正することになったが、法人管理の書式に限っては西暦で統一する。

一貫グループ会長
永野 義孝

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