413号 発進塔:生きる

掲載日:2015年11月10日

最近若い頃に観た映画のワンシーンを断片的に思い出すことがある。その一つが「生きる」という映画の中で志村喬さん演じる主人公が「ゴンドラの唄」という歌を口ずさみながらブランコをこぐシーンである。私がこの映画に出合ったのは、初公開から5年余り経った1957年の秋であった。

この映画は人の生き様を表現すると共に、形式主義に甘んじ、無気力に陥っていた当時の社会を批判したものとして大反響を与えた作品である。しかし私は異なった視点でこの作品に感動したのを覚えている。

それは当時の米国で癌の告知に関して議論がなされていたからであった。直接本人に告げにくいので殆どの医師は告知を避けていたところ、そうでない患者までもが自分は癌ではないのかと悩み、挙句の果てに自殺する人が多発していた。賛否両論が沸騰した結果、米国では総ての病気において本人に告知する選択をしたのである。一方日本ではまず家族に告げるのが恒常的であった。なお今でもそういった例が散見される。それは多くの場合、いきなり告げることによる患者の戸惑いに医師が対応する術を知らないからであり、人情の機微に関わる教育(哲学など)を受けていないからでもある。黒沢明監督はこの問題を提起したかったのだと当時の私は感じた。

ここで「生きる」という映画のあらすじをウィキペディアでの説明を参考にして述べてみる。

市役所の市民課長を務める主人公は、かつての情熱を忘れ去り、毎日書類の山を相手に判子を押すだけの仕事を続けていた。或る日、体調を崩した主人公は診療を受けたが軽い胃潰瘍と診断される。しかし、自覚症状や医師の説明の仕方などから胃癌であると悟り、余命も短いと考えて自暴自棄になり放蕩な生活を続けていた。

そんな折、ふと元自分の部下で今は玩具工場に勤務している若い女性と知り合った。その女性に自分の病気の事を打ち明けたところ、彼女は自分が工場で作っている玩具を見せ「あなたも何か作ってみては」という。その言葉に心を動かされ「自分にはまだ出来ることがある」役所に復職する。

主人公は五ヵ月後に亡くなるのだが、復帰後は上層部にも粘り強く働きかけ、周りの脅迫にも屈することなく、市民の要望であった公園を完成させるのであった。そして主人公はその公園のブランコに揺られながら静かに息を引き取った。

通夜の席には多くの市民が参加した。同僚らは常日頃から感じていたお役所仕事への疑問を吐き、主人公の功績を讃え、従来の自分達のやり方を反省したりもした。しかし翌日の市役所では、主人公を讃えていた同僚達が従来と何ら変わらない「お役所仕事」を続けている。一方、公園は子ども達の笑い声が溢れている…といった光景であった。

ついでに私事を

年老いてくると色んな病気という友達がやってくる。手遅れにならないように必要な検診を受けながらうまく付合ってゆかねばならない。私も他の検査の過程で幸運にもごく小さい腎癌が見つかり部分切除の手術を受けた。現在体力回復に努めている所である。

目下養護老人ホームの建替え工事を進めているが、その一角に小さい子ども達の遊び場を造る予定にしている。その事がこの映画を思い出すきっかけになったのかもしれない。

また原稿を書いている時に薬局の阿部先生がひょっこり訪ねて来たので、「生きる」という映画を知っているか聞いてみた。私以上に様々な情景を思い出して語ってくれた。

一貫グループ会長
永野 義孝

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