406号 発進塔:雑感

掲載日:2014年08月15日

人は泣きながらこの世に生まれ、周りにいる人々はこぞって喜ぶ。そして最期は多くの悲しみの中で静かにこの世を去ってゆく。少しばかりの年数に長短はあるものの、この僅かばかりの時間が現世に於ける各々の生涯である。

人生には生きること、老いること、病気になり、そして死を迎える苦痛があると言われている。そのうえ108あるとされる煩悩に付きまとわれるから泰然自若として生を全う出来る人はそう多くないであろう。

紀元前5世紀に孔子がその弟子たちに論議し答述したとされる言葉を編纂したと言われる「論語」というのがある。その中で孔子は晩年に『吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲す所に従えど矩を踰(こ)えず』と自身の生涯を振り返っている。私は少なくとも数百回はこの一篇を繰り返して読んでいる。しかし少しも近づけないでいる。ただ最近では時々そう考えるだけで良しとしようと自分を許している。

彫刻家の圓鍔勝三先生は、晩年自身を振り返り「積み重ね、積み重ね、積み重ねた上に、また積み重ね」とおっしゃった。非凡な天才が如何に努力し続けて来られたかを感じることができる言葉である。

現在は病気療養中の、作詞家で作家の永六輔さんは自分の生き様を「生きているということは誰かに借りをつくること。生きゆくということは、その借りを返してゆくこと」と色紙に書いてくださった。なるほどと思ったが、念の為に質問してみた。「じゃあ生まれつき、体が弱い人はどう借りを返してゆけばいいの」と。すると笑いながら「そりゃあ、懸命に生きようとする姿を他人に見せるだけで充分だよ」と答えられた。

ちなみに冒頭の3行と8文字は、五和町御領にある芳證寺ご住職の法話での一節である。いずれもその人ならではの含蓄ある言葉である。私もそろそろ生きてきたと言える自分なりの一篇を考えようと思っている。

中秋節

年老いてくると月日の過ぎるのが早い。今年もやがて中秋節を迎える。昔ふうに言うと彼岸の中日である。彼岸とは仏教用語で涅槃の世界・悟りの世界を意味する。私達が生活している今を「この世」というのなら、彼岸とは「あの世」という事になる。ところで今年は8月8日から11月8日までの90日間が秋である。その中で中秋の満月をはさんだ前後一週間を中秋節という。日本では暦にも書いてないのですっかり忘れられているようだが、中国では今でも1年で一番家族全員が故郷に集い、ご馳走を食べながら月見をする習わしが続いている。この時必ず出てくる一品が月餅である。満月を眺めるのは、満月を介して去っていった人を回想したり、遠くに離れて暮らしている家族や親しい友人と会話するという意味合いもある。今年の満月は9月8日であり、基本は「家族」である。

目下、職員の皆さん全員に大きめの月餅を配る準備を進めている。

なお9月7日の観月会は平服で結構であるが、いつもの宴より「少し上品にそして楽しく」をコンセプトにしている。

一貫グループ会長
永野 義孝

今月の紙面一覧

1.袁鳳蘭先生御来訪 共同生活支援施設一元化
2.桂林市衛生局長御一行来訪 非常時メール連絡
3.クローズアップ 嚥下体操
4.観月会ご案内 火災避難訓練 秋の講演会第一弾

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